コミュ障のための具体的な闘い方

僕はコミュニケーション能力が低い。プライベートでは得意というほどではないにしても、特に困ることはないくらいのコミュニケーションを取れるが、仕事をする上でのコミュニケーションがとても下手だ。仕事で苦労していることの全てはコミュニケーション下手に集約されているといってもいいかもしれない。

パッと思いついただけでもコミュニケーション能力が低いせいで苦労していることは山のようにある。

  • わからないことをすぐに質問できない
  • 会議で発言ができず、意見を持っていないと思われる
  • 自分の思っていることをうまく説明ができない
  • 急に話を振られるとキョドってしまう

原因は明らかで、自分に自信がなく何をするにも常に人からの評価を気にしすぎて発言できなくなってしまうのだ。わからないことを認めるのが怖い。間違ったことを言って恥をかくのが怖い。

自己啓発本等では、「他人の評価は気にしない」や「自分の中に評価軸を作る」とよく書かれているし、全くもってその通りだと僕も思う。だが、それだけで実践できれば苦労はしない。これまで幾度となく他人の目を気にしないようにしよう、と意識してきたが、意識するだけでは何も変わらない。生まれ持って20年以上かけて形成された性格はそう簡単には変えられないのだ。

では、どうすれば良いのか。性格を変えることはそう簡単ではないが、小さなことから行動を変容させることはできるはずだ。そこで、今回はコミュニケーション能力を少しでも高めるために、明日からでも実践できる、本当に小さなチャレンジを集めた。できる人からすれば笑っちゃうようなことかもしれない。それでもこれを続けることで少しずつ自分のマインドを変えられるのではないかと思う。

 

挨拶をする

「おはようございます」「お疲れ様でした」などの挨拶をはっきりと言う。

挨拶は誰にでもできるコミュニケーションのトレーニングだ。

オーバーな共感をする

何かを言われて反応を期待されている時、思っている100倍くらいオーバーなリアクションを取る。「確かに...」「そうっすね...」「マジっすか...」とかではだめだ。「それめっちゃ〇〇ですね!!」みたいにありったけの勢いを込める。自分の意見なんて持ってなくてもいいから、相手にひたすら共感の意を示す。

語尾に!をつける

チャットメッセージの語尾に!をつける。

!は自分の発言に自信を持っていることの表れであり、感情を表に出す練習にもなる。

語尾を濁さない

「~ですけど...」とか「~だと思ってるのですが...」などのごにょごにょした語尾にしない。「~です」、「~だと思っています」という言い切りをする。同じように「~みたない感じですね」などのはっきりしない言い回しもなるべくしない。

即レスする

時間をかければかけるほど、低クオリティな発言がしづらくなってくる。即座に反応することが最も楽なのだ。

準備する

当意即妙な受け答えなんてできないのだから、どのような話がされるか予測されているのなら、可能な限り予測して準備をする。ここでいう準備とは頭の中で考えるだけではんなく、実際に声を出して発言してみることだ。

知ったかぶりをする

自分の知らないことが話題に上がった時に、たとえ何も知らなくとも「それって〇〇ってことですよね?」のように、あたかも知っていたが間違った認識をしていた、のように振る舞う。素直に「わかりません」と言うのは勇気がいるが、少しでも知っていたという体なら言いやすい。本当は素直に「わかりません」と言うべきだが、まずはここから始めよう。

 

 

話の聞き方

仕事をしていると頭が良い、頭の回転が早いなあと思わされる人達がいる。彼らは何が優れているのかというと、色々要素はあるが一番は「話の聞き方」が上手なのではないかと最近思っている。

要するに人の話を聞いて理解し、即座に適切なレスポンスを返す力だ。この力を持っている人は議論の中で新しい気づきを得て即座に自分の知見にすることができ、いわゆる建設的な議論というのができる。

自分はというと、人に何かを説明するのはある程度できるのだが、人とインタラクティブに議論をしたり、誰かの説明を聞いて理解するのが非常に苦手だ。

この聞く力を高めるために最近意識していることを書いてみる。

相槌をうつ

相手の言った言葉に反応して相槌を打つ。ただ、うんうんと言うだけでは効果は薄く、「なるほど、つまりこういうことか〜」など言い換えや深掘りをする。これをやることで、相手の言った言葉を自分の中で咀嚼して理解することができる。実際に言葉に出すのが望ましいが、できない場合は頭の中で思うだけでもよい。

好奇心を持つ

その話に興味があるのとないのとでは頭への入り方が大きく変わってくる。大事なのは実際に興味が無かったとしても、興味があるように振る舞うこと。

単語に注目する

発言というのは1つ1つの単語に意図が込められている。例えば、「相談する」「連携する」「話す」「確認する」というのは仕事でよく使われる単語だが一つ一つ微妙に意味が異なる。発言者がなぜその単語を使ったかを考える。そうすると、自然と自分の単語の選び方も慎重になってくる。

 

 

 

 

 

 

目の前の課題に飛びつかない

ある程度規模のタスクをやるとき、目の前に見つけた小さな課題にすぐ取り掛かってしまうことが多い。最初の内はすぐに進捗が生み出せるのだが、実は後ろに大きな課題が待ち構えていたということがよくある。

いざその大きな課題について考えてみると、それまで小さな課題に対して積み上げたアプローチが全くの筋違いだったり、タスクサイズを過小に見積もっていたことに気づく。

逆に、自分が思う仕事のできる人というのは、この課題発見能力が非常に高いことが多い。彼らは、課題を与えられてすぐに、遥か後ろに控えている手強い課題に気づくことができるのでいつも感心してしまう。これが俗に言う視座が高いということなのだなと思う。

なぜ、自分はそのような高い視座を持てないのかというと、大きなタスクに取り掛かると少しでもはやく安心感を得たくなってしまうからだろう。

大きくて複雑度の高いタスクであればあるほど、そのタスクに立ち向かうのを恐れて、手っ取り早く進捗を生み出したくなってしまうのだ。

じゃあどうすればこの課題発見力を鍛えることができるのかというと、手を動かす前にまず解決までの道筋を考える、ということに尽きる。コンサル業界でよく言われていることだが、まずは何を考えるべきかを考える時間を設ける。

進捗が出ない期間を恐れない勇気を持つことが大事だ。

 

 

 

 

読書との付き合い方

多くの人が、新しい知識をつけるためには読書をすべしと言うけれど、読書によって知識を身につける、というのはかなり難しいことなんじゃないかな、と思っている。特にエンジニアの世界では、 エンジニアになったらまずはこれを読め、みたいな技術書信仰がある気がしており、違和感を感じることがある。

たとえば僕はWebエンジニアになってまだ日が浅い頃に、DDDやらTDDやらSREやらの著名な本を読んだけれど、はっきり言って全くの無駄だったと言っても良いほど、その読書からは何も身につかなかった。書いてあることが頭に入っているのだが、本質的なところは全くわかってなく、人に説明することもできないという状態になってしまう。

書いてある文字を必死に読んではいるのだが、それを読み取る下地がないので何も吸収できず、何よりそういう読書はやっていてとても辛い。

じゃあ読書には何の意味があるのかというと、今まで経験してきたことを帰納して、より一般的な法則を得たり、今までの経験のちょっとだけ延長にあるようなものを身につけるのに有効なんだと思う。

プログラミングの例で言うと、いくつか開発案件をこなす中で、スパゲティコードを生み出してしまった失敗経験であったり、逆に綺麗なコーディングができたという成功経験をまず詰む。その上で、設計に関する体系的な書籍を読めば、設計の重要さやプラクティスがごく自然に頭の中に入ってくる。もちろんその中で新しい知見を得ることもあるけど、あくまで既存の経験のほんのちょっとだけ延長にある事までだと思う。

数学や哲学など、理論で完結するような知識は教科書を読んでいるだけで身につくと思うので、そういう世界では読書によって新しい知識を身につける、というのは確かに成り立つ。けれど、実世界で役に立つような多くの知識は、本を読むだけで、言わばショートカット的に身につけることはできず、地道な経験を積み重ねるしかないのかなと思っている。